後書き
100万ヒットホームページを作った人々

  さて後書きだ。ざっくばらんにいこう。95年にぼくが渡米したと
きに出会った人物に、リンクス・フロム・ジ・アンダーグラウンド
という個人ページをつくるジャスティン・ホールがいた。彼は当時、
個人として一日2万ヒットを記録するページをつくり、インターネ
ットの可能性というと、どこに行っても彼の名前があがった。個人
でもそれだけのことができる、そんな未来を秘めたツールとしてイ
ンターネットは注目を集めていた。(その辺の話はぼくの一冊目の
著書「ネット・ボイス イン・ザ・シティ」アスキー刊にくわしく
あります)。日本でも95年、96年はインターネットというと個人ペ
ージが主役だった。しかし、97年以後は企業のつくるすぐれたサー
ビスが登場し、メディア・レベルでは個人ページはやや日陰の存在
になっていく。そんな98年に始めた連載がこの本の素だった。個人
がカンタンにメディアを手にすることができる、全世界で毎日立ち
上がる個人のつくるページ、この流れは必ず大きな流れになるはず
だ、インターネットの特性なのだから、当初はそんな意図で始めた
が、フタを開けてみると反響は大きく、こうやって本になってしま
った。読者が喜んでくれたのだ。思惑は正しかったのだ。
 アメリカにはバーニング・マンという砂漠のアート・イベントが
あるが、よくいわれるのは、バーニング・マンを拡大したのはイン
ターネットだという言葉だ。バーニング・マンをテーマに個人ペー
ジを立ち上げる人たちは多い。200サイト以上あるだろう。そのそ
れぞれが体験記をつづり、写真をアップロードする。ムービーも多
い。また、メーリング・リストも複数あり、掲示板などもふくめて、
インターネットの特性すべてが、イベントの構築に使われている。
まさにインターネットの時代に突出したアート・イベントなのだ。
バーニング・マンはすべてボランティアで運営され、企業の協賛は
受けない。そんなイベントがアメリカではブレイクしている。イン
ターネットなしには考えられない現象なのだ。と、インターネット
の可能性を書いていくときりがない。
 最後に自己紹介しておこう。ぼくは80年に創刊された高杉弾の主
宰するニューウェーブ・マガジン「ヘブン」から編集者となり、80
年代初期にはトメツキー金田、金田トメという名前で原稿を書き、
本をつくっていた。大学時代のブルース・バンド「温泉団」から最
近のことまで知っているという人もいてくれる。ありがたい話だ。
そんな人のために紹介するとぼくのデビュー本は83年にだした「こ
ども国憲章」という子どもの作文集だった。ぼくは編者だ。80年代
につくった本は「クリームソーダ物語」、「略称俗物図鑑の本」、
「ワイルド・スタイルで行こう」などだ。どこかで接点があったら、
あの金田だと思い出してくださいね。では。
Thanks to Michael Gosney,Barbara Traub,Rocky Mullin,Justin
Hall and Burning Man!



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