マッキントッシュというコンピューターの存在を知ったのは80年代後半だと思う。ヒッピーの作ったコンピューターがあるというのだ。目を真っ赤にして僕はそれを喜んでいた。その後90年代に入ってから、ある知人のところで一枚のアメリカで作られたインディペンデントなフロッピーを見ることができた。そのフロッピーのファースト・シーンはブルー、深い青色でおおわれた都市の廃棄されかかった建築物の写真だったと思う。朽ち果てた建築物の前にホームレスが大きなゴミを捨てるスティ−ルのバケツを漁っている写真だった。深いブルーでおおわれたその写真にコンテンツが挿入される。インディペンデントに作られたそのフロッピーに僕は最近のユースカルチャーの流れを感じることができた。パーソナル・コンピューターがム−ブメントになっていると聞いたのは横浜で中古レコード屋の親父件物書きをしている友人からだ。サンフランシスコではすでに定着したム−ブメントとしてあって、それなりのパンクスのところに行けば必ずパーソナル・コンピューターとモデムが置いてあるというのだ。
そこから僕はパーソナル・コンピューターに興味を持ち始めた。友人や知人たちが次々とCD-ROMなどをインディペンデントな形で発表を始め、ある日僕はある知人からCD-ROMはお金が儲かるよ、とそそのかされた。貧乏な僕はその言葉につられてマッキントッシュを一台購入した。インディペンデントな形で自分もCD-ROMを作ってみようと思ったのだ。同時に書籍の企画も考えた。ユースカルチャーから流れるこのム−ブメントを表現してみたいと思ったからだ。企画書を書いたころ類似書はなかった。そして、僕自身にもそういった原稿を書くだけの力はなかった。そこで、執筆者をいろいろ考え、相談して歩いた、知人、友人たちの力を借りて。
僕の原稿の依頼の仕方はテーマは自由だが、妥協ぬきで書いてほしい、そんな主旨だった。原題は「対抗文化の未来」と名づけた。スティーブ・ジョブスというヒッピーが作ったマッキントッシュだったし、マイコンカルチャーというものが60年代のフラワーム−ブメントから来ているところで名づけた。カウンターカルチャーという言葉は古いかもしれないが対抗文化というものは、ネット上でもさまざまな形で生きている。ホール・アース・カタログは70年代文化の象徴だったが、現在はホール・インターネット・カタログというホームページが存在している。
そんな形で原稿を集めている最中に「ワイア−ド」誌の編集長が来日し、彼を見ることができた。ロングヘアーのオールド・ヒッピーだった。僕の記憶ではスピーチの中で「90年にアムステルダムで始まったこの雑誌は93年にサンフランシスコで発行され、94年に日本でも発行されることになった。長い長い旅だった。(Long Long Trip)」と語っていた。グレイトフル・デッドもWhat a strange trip it's been!という言葉を使う。トリップという60年代的な言葉を使うところに興味をひかれた僕は一言だけ言葉をかわした。あなたの仕事を尊敬しているという僕の言葉にていねいに感謝の返事をくれた。彼のスピーチの中でもう一つ興味を覚えたのは「デジタル・レボルーション(Digital Revolution)」という言葉だった。日本語訳でデジタル革命と通訳に翻訳されたとたんにその言葉は空疎な本質を失った言葉とになっていったが、本当の彼の語るその言葉はもっと重い意味を持った魂の響きの伝わるものだった。革命が起きているそんな感覚を持つことができた。ローリング・ストーンズの歌うレボルーションという言葉と同じ感覚でとらえることのできる響きがあったのだ。
インターネット、CD-ROMとバラ色の未来ばかりが語られているマルチ・メディア産業だが、CD-ROMはビッグ・アーティストばかりが扱われるようになり、インターネットもデジ・キャッシュなどの有料配信へ移行していきつつあるように見える。インターネットのサイトを無料で見ることのできる時代もあとわずかなのだろうか。そんな気がする。無料のソフトウェアとされていたものが有料となり、無料とされていたものにデジ・キャッシュが必要となってくる。企業はこのバラ色の未来をお金に還元していくのだろう。それまでの間、ほんの1年、2年にいろいろな夢が現れる。それが泡沫となる日も近いという思いも僕にはある。大資本の占有するシステムの構築がもうすぐそこに待っている。ただ、今のひととき夢の見れる間に作り上げていくべきことは多い。電子ネットの社会の自由、平等、権利などの理念から友人、知人などの仲間を見つけ出しておくこと、なにかを始めるための最低限の技術など。とにかくたくさんいろいろな種類、いろいろな分野におよぶものを作っておくことだし、そして、それを強靭なものにしておくべきだろう。商業化されたロックがいまだにその主張を失わず、環境保護、人権擁護を掲げる国際的なフロント・ラインへと成長したように、この時代の新しいメディアに対する純粋な人間の夢の成長を思っていたい。
最後に現在アメリカで起こっている新しいオルタナティブなム−ブメント、フリンジ・カルチヤ−についてフリンジウェアのジョン・レブコウスキ−とボーイング・ボーイングのマーク・フロウエンフェルダ−にE-MAILでインタビューしたので、その中で印象的だった部分を紹介しておこう。
ジョン「私たちは たいてい フリンジ・カルチャーの帰化人を『ネオフィリアックス』と説明する。『ネオ』はニュ−、そして、『フィリアック』 は愛する人を意味する。この言葉は新しいものとかっこいいもののエッジで存在することが大好きな人を表現する。フリンジについて別の説明をするなら、主流の外側に存在するというところだ。 60年代には『カウンター・カルチャー』を呼び、そして、それ以後は『オルタナティブ・カルチャー』と呼ぶ。ただいつも彼らはコンピューターに、また新しいものに参加したのではない。彼らは非常に洞察力が鋭く、意識は高い。一般の人々が見ようとしない人間のおかれている状況を見つめる。異なる世界を見ているので、アウトサイドにおかれる。そのためにビジョンの異なる一般的な人々には適さない。私たちが世界的コンピューターネットワークを持つ以前は、 フリンジの立場をとる人々は、それぞれの地理的、そして国家的なスペースで孤立していた。
しかし、今彼らはオンライン上でお互いを見つけ、共同体をつくっている。新しい世界に出発するためのメイフラワー号に乗り込んでいるようだ。 我々はどこに行く必要もない。ログインするだけなのだ。そして、我々は国籍やイデオロギーによって縛られないさまざまなコミュニティーにいる」
マ−ク「 フリンジ・カルチャーはメインストリームが取り入れる前の状態にある。 海図に乗っていない未知の水域が存在し、かなりの人々がそこへ行く。そこにはチャンスがある。このエリアは新しく、性質を異にしている。 メインストリームが、本当の理解はしていないので、誰かがおいしいバージョンを売るまで、しばらくの間フリンジのまま続く。あるいは、誰もフリンジから金を作る方法を理解しなかったので、アンダーグラウンドのままでいるか」
フリンジ・ウェア、ボーイング・ボーイングはジ−ンというマガジンのジンから来たミニコミのような雑誌だが、ジ−ンの発行だけにとどまらず、ネット上のウェッブ・ジ−ン、通販、お店の開店などもしている。インターネットでのホームペ−ジをのぞくと二人ともオルタナティブなコミュニティーの中でのマーケットの活性化を強調している。文化屋雑貨店、仲屋無限堂の成功はあってもマーケットの進化を考えるオルタナティブな連中は今までいなかったので、それに興味を持った僕はそれについても聞いてみた。
ジョン「私たちは資本主義者だ。しかし、経済的搾取が正しいといっているわけではない。私たちは資本主義のスタイルで仕事をしている。E.F. Schumacherが言った『人々に重要な経済』、それは人の好奇心を拡大していくものだ。私たちは『利益目標』によってお決まりの行動 にしたがうように資本主義環境によって強いられている。そこで、私たちはマーケットの概念の発展を試みている。それはコミュニティーと融合されたものだ。誇大広告よりむしろつながりあうことによって営まれるもの。私たちは時には『 サイバースペース 』を『ストリート・マーケット』だと説明している」
マ−ク「多くの人々が、 楽しさ、クールさ 、反乱の『 装い』 を買いたいと思っている。しかし、彼らはその背後のオリジナルの哲学を買いたいとは思っていない。メインストリーム文化がヒッピーと不良とサイバーパンクス とグランジを取り入れたやり方を見なさい。 映画プロデューサー、ファッションデザイナー、広告主、 みなが『装い』を買った。しかし、その背後にある思想をではない。 彼らは同じ古いくそを売るために、新しい『 装い 』を使う。 確かに人口の大きい部分に有益で魅力的な何かが始まっている。しかし、一度何かが商業上成功したなら、それは正直に言ってもはや『オルタナティブ』というラベルをはることはできないけれども」
ここで、ジョン・レブコウスキ−の言っていることは大事なことだと思う。チェ・ゲバラや毛沢東を尊敬して革命を訴えた時代から、さらに民主化へ、市場解放、経済改革へと歩みを進める時代のなかで、経済行為に対するどういう理念を持つかは、これからの時代の鍵だろう。資本の力の増大とここ10年の商業主義の発達に危機意識を抱く人々は多い。その中でどういった形の経済行為を果たすことでこの社会を生きていくかは大切なことだと思う。全共闘世代、ヒッピー、パンク世代が貧困と困窮をなめて暮らすしかなかったことをも考えるべきだろう。僕は成城のある医者に通っているのだが、富裕層、上流階級の街とされる成城学園前駅の伝言板に長髪の全共闘世代らしいホームレスがなにか書いているのを見たことがある。一見狂気を背負った人にも見えた。理想を求めて思索を続けた世代の後ろ姿に僕はなにを言うこともできない。当時流行した熱は今もその人を包んではいるが、その人は狂気を背負ったホームレスにしか見えない。
人間がこの社会を健康に元気で自分自身を大切に生きていくつもりならば、たしかにレブコウスキ−の語るように資本の利益誘導と利潤追求の奴隷にされることなく、なんらかの経済行為を営まなくはならない。国際的な環境保護、人権擁護運動の高まりと同時にそういった部分を見逃すことなく考え、同時に実行し、試みていくべきなのではないだろうか。第二のマルクスの登場を待ってはいられない。サイバー・スペースはそういった可能性を持っている。
コンピューター・カルチャーにどういう可能性があるかとジョン・レブコウスキ−に質問してみた。
ジョン「個人としての私にですか? さて、それは山ほどある。私はコミュニケーターだ。世界中でこれほど強力なコミュニケーションメディアは存在しない。これを熟慮しなさい:君は日本にいる。私からは世界の隔たった所にいる。しかし、私たちは隣の家の隣人であるかのように、オンラインで談話している。そこにコミュニティー発展の可能性がある。
新しい種類の関係をここに構築しているのだ。人間は潜在的に非常に解放されている。我々は魂を光ファイバー・ケーブルの上で動かす。私たちは世界を経験する意識の進化の可能性を獲得した。わたしはあなたがより良い何かを必要とすることを希望する、無思慮な娯楽の過剰供給の下に埋葬されることなく」
世界を経験する意識というのは僕の簡単な解釈で説明すれば、コップを落とせば壊れてしまい、壊れてガラスをひろえば指が傷つくといったことから始まって社会経験まで含む広い意識をさしたものだろう。政治的行為がいきすぎれば警察官による過剰警備が行われ、ブームが過ぎればそのトレンドは終わり、商品は売れなくなる。よくロック草分けの人たちと話をするときに感じることだが、彼らは経験的な知識をたくさん身につけている。ロックが売れなくマイナーだったころの話、フォークが始まった時代から現在のようなフォーク・リバイバルのが起こっている時代におよぶ約30年近い経験を深い思慮からとらえなおしている部分を感じるのだ。その経験の積み重ねられた歴史が刻印された考え方には驚く。ただ年輪を重ねただけではない人たちの話は至高の賢者が語る格言ではなく、30年間そのユートピックな夢を持ち続けた人間が語る現実の話なのだ。進み続ける、すべてが初めて起こることばかりの人間の歴史を体験として、自分自身の視点から語る、ときにはざっくばらんなあけすけな話なのだ。
しかし、そこには時間的な、経験的な熟慮が付与されている。理想主義的な理性の作り出すざっくばらんな庶民的な思想なのだ。そこで僕は世界が賢者の格言ではできていないことを理解する。世界を経験することはいまだに書かれていない文学であり、本にはまとまっていない思想だ。レブコウスキ−は光ファイバーの上を動く魂と意識の進化の可能性をここで示唆している。新しいコミュニティーの形成からそれはたしかに起こりつつあることを僕も感じる。僕たちは世界的に結ばれたネットの中で意識を拡張していくだろう。アムステルダムやサンフランシスコの進んだ知恵や意識が僕たちの世界を拡大していく可能性ははっきりあるといえるだろう。それは思想的な問題からお店を開くときのいろいろな経験談などまで、さまざまな意識の共有が可能だ。僕たちの魂はメディアの上を歩く巨大な怪物へと成長していくのかもしれない。しかし、世界は賢者の格言や先人たちの作り上げた知恵でやっていくことはできない。未来は歴史の繰り返しではない。僕たちはいまだ見ぬ大海へと航海する、地図のない土地を巡り歩くメイフラワー号に乗ったのだ。この大きな革命の舟がどこにたどりつくのか日本のパソコン・カルチャーを築きあげていく人たちに、ユース・カルチャーの担い手に、カウンター・カルチャー、オルタナティブ・シーンに期待したい。