With a Little Help From my Friends!



 YO! MEN! いつだってどんなカルチャー(The Velvet Underground http://www.infi.net/~aland/vu/)にも終わりはつきものだが、このデジタル・カルチャーつーのは多分まだまだ終わりは来ない。10年以上続いてロック並みの巨大なインダストリーになっていくことは目に見えてる。だからブラザー&シスター失望はするなよ! 俺は70年代のロックの終わりも80年代のパンク(The (Only) Unofficial Sex Pistols page! http://www.yab.com/~stumbras/sex-pistols/)の終わりも見てきた。でも終わるまでに、いろんなものが登場してきてつぶれていくのが、いつもの話だ。日本のサイケデリック・ショーだった、今風の言葉でいえばマルチメディア・イベント(Verbum Digital Be-In http://www.be-in.com/)だったオール・ナイト・レインボー・ショーも、日本のパンクスが登場した東京ロッカーズもつぶれていった。ム−ブメントの最中にだ。それからなおもム−ブメントは続き、やがて終わっていったり、くすぶって続いたりするものだ。だっけどこのデジタル・カルチャー・ム−ブメントつーのは始まったばかりだ。そこをわかっておかないと一番楽しい時期を逃がすぜ!


 今回はWith a little help from my friends 日本語で「友達の助けで」だ。
 俺は子どものころにヒッピーム−ブメントつーのがあって、それ以来、後追いじゃなくてこーゆーカルチャーつーのを見てきてる。で、いろんなやつに会ったナム・ジュン・パイクからグレッグ・オールマンまで、しかし、そん中でもこりゃ面白いやつに会ったという記憶が一つある。R.U.シリウス(Mutate Project http://www.onworld.com/MUT/index.html)の話だ。60年代イッピーで、90年代はモンド2000の編集長をやっていた男だ。真面目で思慮深く、センシティブで、なおかつアバンギャルドな部分、つまり時代を変えていくような革新的なものを欠かすところのない男だ。
 もう一人ちょっとしつこいけれど前回の渡米で一番仲の良かった友達を紹介しておこう。バーブラ・トラウブ(Burning Man 1995 - Barbara Traub http://www.zpub.com/burn/bt95/)という女性のフォトグラファーだ。バ−ニング・マンという砂漠で3000人ぐらいの若者が集まるアート・パフォーマンスがあるのだが、それの写真を撮っている。この世のものとは思えないような光景が広がってくるので絶対見てほしい。
 サイボ−ガニック(Cyborganic Gardens http://www.cyborganic.com/)は毎週木曜にTND(http://www.cyborganic.com/cafe/tnd.html)という自由参加のディナー・パーティーがあるので、毎週遊びにいっていた。シスコのラモナ・アベニューに20人以上が住んで暮らしている。90年代のコミュ−ンのようなものだ。シスコに行った時は絶対行ってみよう。最盛期5人が暮らしていたサイボ−ガニックのハウスはアベニューの空いた家に人が引っ越して、今は2人が暮らしている。今残っているうちの一人は去年死んだグレイフル・デッドのジェリー・ガルシアのアコースティック・バンドのメンバーの一人、スティ−ブ・バ−コ−ル(Steve Bahcall http://www.cyborganic.com/people/eyeneer/Steve/)だ。パーティーでガール・フレンドはどうしたなどと声をかけてくれる。
 そんなTNDで知り合えたのがジャスティン・ホール (Justin's Links From Underground http://www.links.net/)だった。お父さんが幼いときに自殺したという彼とは兄弟のように通じあうものがあった。21歳になったばかりの彼はデジタル・ヒッピーというのか、すごく60年代のカウンター・カルチャーの人間の持っていた意識と似たものを持っていて、ビート、ヒッピー、パンクス、テクノ、オルタナティブなど、なにに対しても肯定的な姿勢を持っていた。その辺も通じて楽しかったのだ。人によってヒッピーは違うとか、パンクは違うとか、いろんな連中が日本にもアメリカにもいるが、俺のような人種はなんでもオッケ−だ。


 昔の流行を訪ねてみよう。歴史ほど知恵のなる樹はないものだ!
 さて、そんな90年代のシスコ・カルチャーとはまた違ったサンフランシスコもある。ノースビーチのパーティーで出会ったボブはシスコの60年代サイケデリック・バンド(The Grateful Dead http://www.cs.cmu.edu/~mleone/dead.html)のメンバーとはほとんど友達という、当時ヘイト・アシュベリーでタバコ屋の親父をやっていた。去年死んだジェリー・ガルシア(Dedicated to the Memory of Jerry Garcia http://www.cs.cmu.edu/~mleone/gdead/deadicated.html)も友達の一人だった。ディガーズ(THE DIGGER ARCHIVES http://www.webcom.com/~enoble/diggers/diggers.html) を知っているかと聞くと、おお、ディガーズはよくヘイト・アシュベリーでフリー・フードという無料の食事を配っていたと答えが返ってきた。
 60年代の巨人というといろんな連中がまだ生きているが、おかしかったのはケン・キージー(Key-Z Productions Home Page http://www.key-z.com/)がウェッブを出していることだった。キージーあてに取材を申し込んだが、オレゴンの方にいるらしく、答えはなにやら謎めいた返事が送られてくるばかりだった。
 部屋に帰ってはそんな馬鹿なサイケな連中のウェッブを探して歩いたが友達のグレッグが思わず吹き出して笑ったのがジャパニーズ・ヒッピー (THE JAPANESE HIPPIEDOM http://village.infoweb.or.jp/~fxba0053/)のウェッブだった。日本のヒッピーかとうけまくっていた。
 ヒッピーに続いて登場した70年代のパンク・ム−ブメント(Punkrock Underground Homepage http://www.punkrock.com/index.html)。80年代中頃にシスコに行った時はおおぜいパンクスの姿を見たが今もパンクスはけっこう定着しているようで、ヘイト・アシュベリーやダウンタウンでよく見る。みんな貧しく、ホームレスをやっているのはヒッピーもパンクスも一緒だ。女の子のホームレスのパンクス(The Women of 1970's Punk http://infoweb.magi.com/~rina/index.html)も多い。

 

今時の流行を見てみよう。
 ヘイト・アシュベリーでは90年代のレイブ、テクノ(Hyperreal http://www.hyperreal.com/)も流行りまくっていた。仲の良かったロッキー(CALIBAN http://www.organic.com/Staff/caliban/index.html)もアンビエントのグループをやっていた。この辺りが今の流行なのはシスコも東京も一緒だ。特にこれからはテクノの時代だというのはサイボ−ガニックのジェニーがいっていた言葉だ。ジェニー(Jenny Cool http://www.cyborganic.com/people/cool/)のいうテクノは音楽のテクノのことじゃない。カルチャーとしてのテクノロジーのことだ。テクノは当分終わらない。CG、DTP、インターネットはかなり続くカルチャーだろう。ネットスケープにに電話がついて、さらにそれがテレビ電話に変わるまで当分、手を変え、品を変え、流行は続いていく。
 最後にぼくのウェッブ(CyberRevolution http://suq.fix.co.jp/cyber/)を紹介しておこう。一種のミニコミのようなウェッブだ。時間と空間というスペースの中で、時々登場してくるシャボン玉のような一瞬のきらめきというものがあるが、そういうものをめざしてつくっている。大した更新もしていないが、一度見てくれ! BYE! MEN! I WAS SO GLAD TO MEET YOU! MEN! GOOD LUCK!

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