1 最近のポッピンジッツ
2 ジーンの歴史
3 今の職業
4 おかしな宗教
5 パンクロックとタイプライター
6 ストックトン
7 オーストラリア
8 バ−ニング・ナイブス
9 パンク・バック
10 2色のポッピンジッツ0号
11 ジーン大爆発 DTP
12 ジーン ポスト中央集権
13 ほろコースと、ドラッグ・リガライズ
14 マス・メディア
15 バロウズの箴言
16 自分のジーンの変化
17 ポッピンジッツ1号目 プランクス
18 最近のポッピンジッツ
19 ベーシックなイデア
20 おかしな宗教2
21 企業とカルトの類似性
22 ほかの面白いジーン
23 E-ZINE
24 好きなジーン
25 ハッカー第一世代
26 ジーンの原則
本文(ラフです)
ジーンといってもよくわからない。でも最近自分でミニコミをつくったり、集めたりしている連中は多いはずだ。ひょっとしたらアメリカのジーン流行と同じような流行が日本でも起きているのかもしれない。同時多発性現象というやつだ。シンクロニシティーというやつだ。ジーンとは日本語のミニコミのことをいう。マガジンのジンから来ている流行だ。全米で数千種類ものジーンが発行されているという。僕もサンフランシスコのヒッピー発祥の地とされている、ヘイト・アシュベリ−のアナ−キストの本屋さんの奥の一角が全部そういう雑誌で埋まっているのを見て、なるほど流行っているのかと思った。新宿の書店、模索社の光景を思い浮かべればいいと思う。だいたいあんな感じだ。その辺においてあるのはクイック・ジャパンを半分にしたぐらいの大きさのマンガのジーンでページ数は10ページぐらい。ホッチキスでとめてあって、白黒コピーのマンガが続く、誰もがつくる普通の日本のミニコミと変わらない。部数は多分だが、2、30部から多くても50部ぐらい。一冊、一冊、紙のサイズというか、大きさが違うので、コピーしたマンガを自分で切って本の形にしたのがわかる。こういうものが流行しているわけだ。ジャンルはマンガから始まって、いろいろある。セックスをテーマにしたものも多くて自分でボンデ−ジ姿になって縛られている写真を仲間と一緒に撮ったもののでているジーンとか、ピアス、タトゥーを乳首に入れてそれを写真にしたジーンとか、ゲイのものとか、セックスだけでそれだけいろんなジャンルがある。
部数のでているものは表紙だけカラーできちんと印刷、製本されている。中身は白黒だ。表紙も白黒で中身も白黒、だけどきちんと製本してあるというのもある。中までカラーページがあるというものは見つけることがない。ジャンルはセックス系、コンピューター系、ニューエイジ系、政治系などいろいろある。普通の雑誌と違うのは縛られたボンデ−ジ姿といっても、プロのモデルさんがプロのカメラマンの前でポーズを撮って写っています、っていうんじゃなくて、もろに素人が自分の写真や友達、知り合いのボンデ−ジ姿を写真にしているというのがわかる部分だ。なかには性器にピアスなんていうフロント・ファイターのつくるものもあるが、すべて本物のそういう人たちが自分たちのためにつくっているわけだから、ヤラセみたいなのが一つもない。つまり、ずばりそのもの素人の生写真のような世界なのだ。だから、こっちには少し通じるものがある。嘘のない最先端なのだ。
インターネットの世界にもジーンはできて、ウェッブ・ジーンとか、E-ZINEとか呼ばれている。内容は紙のジーンがエレクトリック・バージョンになったものと考えるのが早い。ただ、最初は紙のジーンと同じように最先端の面白いものだったが、最近はそのイメージがわざわいしたか、企業までウェッブ・ジーンをつくりだす始末で、昔はジーンといえばきわどい、あぶない、スリリングというわくわくしたものがあったが、最近はジーンというだけでだまされるわけにはいかなくなってしまった。本家の紙のジーンの方は最初の姿のまま生き残っているわけだ。
そんなジーンの中でジーンを紹介するジーンとして名高いファクトシート・ファイブのウェッブ、Zines! Welcome to Factsheet Five - Electric. Zines!(http://www.well.com/conf/f5/reviews.html)にはそんな膨大なジーンの情報とリソースがつめこんある。レビューからつくりかたのツールとハウトゥー、オンライン・カタログ、流通会社のリスト、イベントの紹介などなど。それから一つつけくわえておくと、ファクトシート・ファイブのウェッブはサイバ−・シッターというソフトウェアでプロテクトされて、子どもは読めないウェッブだ。書き出しのあたりに親は子どもにフリー・スピーチ、日本語でいう言論の自由と企業や団体じゃないコミュニュケーションは教えるな!とわざわざ書いてある。
このウェッブを担当しているのはジェロッド・ポアというファクトシート・ファイブのコントリビューティング・エディターだ。インターネット・バージョンは彼の分担で僕が会ったときはまだ、ウェッブのブラウザーを持っていなくて全部テキスト・べ−スでウェッブをつくっていた。今もウェッブを見るとテキストだけなので、スキャナーがないんだ、という彼の言葉は今も変わっていないようだ。
僕がジェロッドに最初に出会ったのはニュースグループalt.zinesでだった。ジーンというのが流行っているというので、ちょっと教えてくれというような内容のポストをしたら、何人かから返信のポストをもらった。読んで行くとジェロッド・ポアの名前があるではないか。へー、あの有名なファクトシート・ファイブの連中がわざわざ答えてくれたかと思って感心したものだ。ジェロッドあてにメールで再質問するとていねいにいろいろとジーンの歴史を教えてくれる。ジェロッドはニュースグループの中でも中心的な存在で、いろんな連中に親切なアドバイスを送ったりしているやつだったが、個人でメールを書いてもやさしい返事をくれる。
そんなジェロッドに初めて会ったのは彼の職場、サンフランシスコなんとかというピッカピカのビルの中にオフィスを持つメジャーな会社の中でだ。オフィスの秘書にジェロッドに会いに来たというと通されたのは、彼の個室だった。個室付きのところで仕事をしているとはと驚いた。さらに、ジェロッドは毎朝6時30分に出勤する。ところがジェロッドは6時30分に出勤して誰もいない職場で会社のコンピューターとレーザー・プリンターとコピーを使って自分のジーンをつくってしまっているのだ。もちろん紙代もコピー代も会社持ちだ。僕の友達にもバイト先のコピー機を使ってバンドのフライヤ−をつくっているやつもいるけれど、全然違いというものがない。
ちょうど時間は退社時間、僕たちはそんな会社を後にしてジェロッドの招くノースビーチのカフェに行った。ノースビーチといえばアレン・ギンズバ−グやウィリアム・バロウズなどをデビューさせたシティ・ライツ・ブックスという書店のある、サンフランシスコのカルチャー地域だが、ジェロッドの連れていったのはその中でも一番ホームレスの多い、東洋人の僕もご愛顧させてもらっている、プアなカフェだった。気取ったところを選ばないどころか、一番底辺にいる連中のウロウロしているところだった。
話を始める前に渡されたジェロッドのつくるジーンは、ファクトシート・ファイブとは違う、自分だけでつくっているものだった。ポッピン・ジッツという名前のそのジーンは白黒で、ピンクや紫色のペーパーにコピーされたものをホッチキスでとめたものだった。が、おかしかったのは日本のエッチもの雑誌のキワドイ写真と投稿ドッキリ写真!とかいう文字タイトルをバンバンのっけているところで、図版のだいたいは日本に旅行したときに仕入れた日本エッチもの雑誌からだった。日本でそういう雑誌を見てもあんまり、そんな気はしないが、けっこうアブナイ感覚がプンプンと煮込んであった。それと、すぐにわかったのは日本のパンクスがつくるバンドのミニコミとそっくりだったことだ。
ポッピン・ジッツ9号の内容はどういう経過でファクト・シート・ファイブをマイク・ガンダーロイから自分たちが受け継いでいったか、それと奥さんとの日本旅行の話、自分のマッシュルーム・アレルギー、自分のフィクションでできている。アートワークは自分でやっていて、ほとんどは日本の雑誌からの盗用、残りは特殊な貿易雑誌からのイメージだ。コンピューター雑誌からのイメージの盗用はやりすぎで、いったんやめて、最近は遺伝子情報関係の雑誌から盗みまくっている。脳の写真が好きなようだ。脳フェチというのか脳バカというのか、最近一番魅せられたものだという。バージョンを一号につき、2バージョンつくって1つは写真ばかり、1つは読み物中心のものだ。部数は300から400部。すべて郵送で売りきっている。
さて、そんな話はそろそろにして、本題のジェロッドから聞いた話を書き起こしていこう。
「ほとんどのジーンは50部から100部ぐらいだけど、ポッピン・ジッツは10年ぐらい続けている。ジーン自体を始めて15年たつよ」
なるほど、売れるわけだ。
「僕は大きなジーン、フリンジウェアやボ−イング・ボ−イング、マキシマム・ロックンロールなんかに原稿を書いているから、どうにかほとんど売ることができる」
フリンジウェアやボ−イング・ボ−イングはたしかに売れているジーンで2、3万部の発行部数があるといわれている。本屋で見ても両方とも表紙はカラーか2色刷りの方だ。
「僕のつくるものは全部郵送で売っている。お店に行ったり、問屋におろしたことも2、3回あるけれど、面倒すぎた。僕は自分のジーンをだれが買ってくれるのか知っている。それが『ここに3ドル、君のジーンを送ってくれ』っていう短いコメントだけでも、それがオクラホマ・シティーからだったり、アラバマのすごい田舎のわかりにくいアドレスだったりしても、それが好きだ。もし、シスコやボストン、ニューヨークのような大都市のお店においたとしても、もう数百以上のジーンが並んで競争しているからね」
なぜジーンの出版を始めたんだろう。僕は彼の過去を聞いていくことにする。
「学生時代はクラッシック音楽を聴いてロール・プレイ・ゲームで遊んでいた。でも、高校の終わりにパンクロックにひたって、高校をドロップ・アウトしたんだ。サンフランシスコに引っ越して、レザー、レザーしたパンクロックにどっぷり浸った。安いお金で働いて、一人用の安ホテルで暮らして、ここのノースビーチのギグやサウス・マーケットの倉庫なんかで行われているギグにいっていた。ジーンがあたりにまき散らされて、風に漂っていた。ある日ギグから戻ってくると、ちょうどここの近くだったけど、僕は誓うけれど、見たんだダンプ・スターを」
目を輝かしてジェロッドはダンプ・スターを見つけたときのことを語る。80年代初めの話だ。ダンプはゴミ捨て場をいう、ダンプカーのダンプだ、スターは人だ。訳すとゴミ捨て場の人という意味になる。たしか、ビート詩人のアレン・ギンズバ−グの詩にもでてくる言葉だ。ジェロッドの話によるとアメリカではゴミ(日本語でいっていた)は日本のようにきれいな形をしたもんじゃない。でも、時々すごく素敵な、きれいな清潔なゴミをごみ箱のでかいメタル・ボックスから見つけるそうだ。パンクスたちはその箱を開けて見なくてはいけない、中に入っていって、ゴミをあさって掘り出し物を見つけるものなのだそうだ。50年代のビート・ジェネレーションから続く気質だなあ、と僕は思った。日本でも高円寺、下北沢の中央線界隈の連中の気質だったりもする。昔ブッダファリアンズというレゲエ・バンドのボ−カリストのグレゴリー・ヒロの部屋に遊びに行くとテレビからラジカセ、こたつまで全部拾いもので、目を輝かして彼はこういった。
「こうやって生活していけば楽だよ」
日本でも同じだ。
「その晩、ギグからの帰り僕はゴミ箱のフタを開けて、中に入った。タイプライターを見つけたんだ。それを家に持って帰った。また別の夜に、僕はぶんなげられた紙をごみ箱から見つけた。それはすごくいい紙だった。表にはレターヘッドがあったけれど、裏にはなにもなかった。それで僕は裏にタイプを始めたんだ。それをコピーして、パンクロックのギグに持っていった。売ろうとしたり、なにかと交換したりした。時々ドアのところで人にあげたりしていると彼らが中にいれてくれた。それがジーン出版の最初だったんだ。
やがてタイプライターが壊れた。タイプはできたけれどマージンを変えることができなくなった。右に大きなマージンが入って左のマージンはとっても狭いんだ。それで右をホッチキスでとめてジーンをつくった。それを今でも続けている。マンガを見る前の話だけど、マンガのように自分のジーンをホッチキスでとめていたわけさ」
マンガに限らず日本の出版物は全部右をとじてある。アメリカではそれが逆のサイドの左だ。最初に彼がつくったジーンはバ−ニング・ナイブスというジーンで1981年。今でも覚えてくれている連中がいて、ニューヨークから来たやつまで「君がバーニング・ナイブスをつくっていたのかい!」と驚かれるようだ。
「15年前の話なんだよ、200部つくっただけなんだ」
と楽しそうにジェロッドが話す。バ−ニング・ナイブスはサンフランシスコのパンクのギグで売られて人から人に渡ってニューヨークにまで届いていたのだ。バ−ニング・ナイブスは全部ジェロッドのフィクションで性的で暴力的なストーリーだ。メタフェタミンをやった後に一晩で書き上げた。表紙は友人の絵をカラー・コピーしてそれを白黒のコピーになおしたもので、自分の片手に銃をもう一つの手にはペニスの張り型を持っている。サイバ−・パンクの原型だ。
ジーンは30年代のサイエンス・フィクションのファンから始まっていて、40年代はサイエンス・フィクション・ファンと政治的急進派のものだった。50年代にはそれにビート・ジェネレーションが加わる。60年代になると政治的ヒッピー、イッピーが加わって誰もが出版を始める。70年代にはパンクスが加わり、90年代は誰もがジーンを始めた。みんなのためのジーンの時代だ。
1988年はジーンの大爆発の年だった。DTPの普及がつくったのだ。
「新しい世代が台頭したんだ。高い教育を受けて、失業中の連中だ。テンプ・ワーカーの爆発だった」
テンプ・ワーカーというのは臨時職員という呼ばれる連中のことで、1週間とか3カ月とか短い期間を雇われた企業で働くことになる。
「テンプ・ワーカーは週払いで、保険を持たず、給料は安い。でも彼らのほとんどは企業から要求されるより、頭がよくて仕事が早い。それで仕事を早く終えた彼らは時間が余っていた。そこにDTPという新しいソフトウェアが現れたんだ。今のインターネットみたいなものさ。企業はDTPが便利だというので導入する。でもどう使っていいかわからないんだ。それでテンプ・ワーカーが必要になる。才能があって、高い教育を受けて、でも少ない給料で時間だけはある。彼らはなにをやるべきかわかったんだよ。それで働いている時間帯にジーンをつくり始めた。会社のコンピューター、DTPソフトウェア、レーザー・プリンターとコピー・マシーンを使って」
それが88年のジーンの爆発だったのだ。ジーンは30年代から80年代初めまで着実に成長していた。初代編集長マイク・ガンダ−ロイがファクトシート・ファイブを始めたのが82年だ。その時期すでに1000から2000のジーンが存在していた。それが88年の爆発で1万となり、93年に編集長が交代したときにはその数は4万から5万だった。
「ジーンの爆発は素晴らしいと思うよ。中央集権化した出版や放送の形態より、ずっといい。一つの小さなグループが彼らの情報とものの見方をおおぜいの人間に流している。僕は好きじゃない。僕はたくさんの小さなグループがたくさんの小さなグループに情報を伝えていくという考え方が好きだ。
サイエンス・フィクション・ライターの90パーセントはクソだし、それでも続いてる。ジーンも90パーセントはクソだ。90パーセントのメインストリームの雑誌はクソだし、90パーセントのテレビや音楽はクソだ。それが大きいか小さいかに関わらず、たいていは排便されたウンコなんだ。ただ、小さなものがさらにたくさん増えたら、僕たちはもっといい情報を発見できると思う。中央集権化された一つのグループが大きなグループの人間たちに情報を流すことよりもいい。僕たちはもっとたくさんの視点を持つことができるし、もっとたくさんの情報ソースを持つことができるし、メインストリームで見つけられなかったものを見つけることができるだろ」
たしかにその通りだ。日本ではもっとその通りなんじゃないだろうか。新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、業界人がすべてを支配している。一部の少数の人間がメディアを自分たちのものにして、多数の人たちに流している。ジーン・メイカ−は小さなグループのためにジーンをつくり、小さなグループのままにしておこうとする。ずいぶんな違いだ。
「最近ナチのユダヤ人大虐殺がメインストリームでも話題になったけれど、ハードコアな連中はユダヤ人を皆殺しにしたと信じているし、また別にナチによる大量虐殺はまったくなかったという人たちがいる。彼らはちょっとおかしいんだ、少し狂ってる。でも、真剣に勉強して調査していく、すごく小さなグループがあったんだ。彼らは見つけたんだよ。600万人のユダヤ人が殺されただろうという今までの説は正しくはない、おそらくは4、500万人の人々が殺されたということを発見したんだ。死者が2、300万人少ないこことをみつけたんだ。それは僕にも理解できない悲劇だけど少しはいい話じゃないか。だけど、だれもそれについて話そうとはしない。でも、ジーンでだけ、それを見つけることができる。
ドラッグの合法化も一緒だよ。メインストリームのメディアでは誰も取り上げないけれど、ジーンの中ではすごくたくさん語られている。あとは、カルチャーについてもジーンはいい。本当にいいバンドや音楽は小さな出版物から教わるもんだ。本当に好きな人たちがつくっているからね。
メインストリームの出版物ではそりゃ無理だ。メインストリームの人間は書くのが仕事で書いているだけだからね。なにかを書いて彼らはお金を稼ぐ。それが彼らのものの見方だったりする。ジーンの世界ではお金をもらわない、逆に僕たちはお金を失っていく。僕たちは情熱でそれをやっている、必要からやっている、自分たち自身を表現したくてやっている、情報を伝えていく必要からやっている。ジーンの情報はタイムやニューヨーク・タイムスに比べて多少、正確じゃないかもしれないけれど、情熱や正しいことに対する信念がそこにはあるんだ。それで君はどこにもない情報をジーンから見つけ出すことができる。なにが本当でなにが嘘か自分自身で調査しなくてはいけない。
最近はすごくたくさんの真実があることがわかってきている。誰もが違う人生を送っている。真実を考える上で別の側面を考えている。ビート・ジェネレーションの作家バロウズはこういっていた、『真実はどこにもない、そしてすべてが許されている』。僕はいう、90年代のバージョンさ、『すべては真実だ、そしてなにも許されてはいない』」
マスメディアの書き手は仕事で書いているといいながら、ジェロッドは僕のことを商業雑誌の書き手だと知りながらオープンで、ちっともへんくつなところがない。話し方はウィットがきいていて時には韻さえふんでいる。
50年代のバロウズがなにもかも許されていて真実はどこにもないと語っているのは知らなかった。そんなバロウズが次の世代をつくりつづけたに違いない。バロウズ以後の世代は真実は手にしたが、許されることはいまだにないのだ。ジーンはたえずいろんな形で検閲にあっている。数が数だけに調べる方も大変だろう。日本のE-ZINEの世界にも起こっている話だし、そういう人たちにも「お疲れさまです」といっておこう。
好きなジーンはと聞くと
「ドナ・コージーという女性がいて、彼女は今ポーランドにいるんだけど、彼女はすごく素敵なジーンを出版している「クークス」っていうんだ。そのジーンはいろんなおかしな人間の狂気を集めたものだった。宗教マニア、社会問題マニア、政治マニア、彼らは書いたものを電柱や壁に貼ったり、手渡したりしているんだけど、彼女のジーンはそれをそのまま印刷したものだった。まあ、すごかったね。80年代にだしていたんだけど」
日本でも怪文書というのが流行っているが、ひょっとしたらそのコージーさんが元祖なのだろうか。80年の雑誌「ヘブン」で多少そういうこともやっていた歴史があるが、その後そういう方面でがんばったのは根本敬かもしれない。
僕が94年にalt.zinesにした質問を覚えているかと聞くと
「ちょうどその時期にE-ZINEについて目を向けたんだ。E-ZINEはインターネットが始まった70年代後半に始まっている。だけど94年がE-ZINEの爆発の時期だった。88年がジーンの爆発時期だとしたら、94年はWWWがヒットしてインターネットが消費者のアイテムになった。ケーブル・テレビみたいにだれもが加入していなきゃいけないものになったんだ。次のテンプ・ワーカー世代の転換だった。高い教育を受けて失業中で、企業はインターネットを導入しなくてはいけない、だけど彼らはどうしていいかわからない。それでテンプ・ワーカーたちはまた、仕事を早くおえて、小さなウェッブ・ジーンをつくって企業のウェッブ・サーバーに置いたんだ。会社には内緒で。テンプ・ワーカーたちが1、2カ月でその会社から移動してから、引き継いだ会社のウェッブ・マスターがそれを見て『こりゃなんだ』といってそのデータを消去してしまう」
こういうことを語るときのジェロッドの目は生き生きとしている。さすがにハッカーの第一世代だ。
「E-ZINEはジーン出版の次の波だね。ジーンは時々革命が必要になるんだ。最近のジーンの3つの革命は少しタイミングが早くなってきている。80年代頭のパンク・ジーン、80年代後半のDTPジーン、今の90年代半ばのウェッブ・ジーン。少しづつ進行が圧縮されてきている。いいことだ。おおぜいの人がE-ZINEに興味を持ち出してきている。インターネットのジーンは新しいスタイルだからね。もし、紙でジーンを出版しようとしたらお金がかかる。会社のお金でやろうと自分のお金でやろうと。お金がいるっていうのは現実的な話だ。やってみるとはっきりわかる。E-ZINEにコストはかからない、ただみたいなものだ。アカウント料金だけですむからね。もうみんなケーブル・テレビと一緒でアカウント料金は払って加入しているわけだから、多分何百万人という人たちが参加することができる。問題があるとすれば見ることに料金がかかることだね。コンピューターを持っていなきゃいけないとか。ただ、料金は下がってきている。
でも、E-ZINEが紙のジーンにとって変わるとは思ってないんだ。紙は最高で欠陥だらけのメディアだけど、永久に続く。違ったデータ形式に変えることはできないけど、バスタブの中で読めるしね」
バスタブでE-ZINEを読みたきゃ感電するしかないよ、と髪を雷のようにたたせておどけて見せてくれるジェロッドなのだが、果たして日本人で風呂の中でものを読んでいる連中というのはいるのだろうか。
「E-ZINEはこれから当分続くだろうね。紙は高いから、奇跡が起こってこの国でマリファナが合法化されて、安い紙をもう一度手にすれば別だけれどね。今は紙のジーンの30に一つがE-ZINEを始めている。もっともっと紙のジーンがE-ZINEをスタートさせていくだろう。E-ZINEができる割合は紙のジーンを上回っている。たくさんのジーンが紙の出版をやめてしまっている。彼らはオンライン上でだけつくり始める。僕たちはまだペーパーで発行しているけれど、バックナンバーはオンライン上に持っていこうとしている。新しいジーンを始める人たちは紙のジーンのかわりにE-ZINEを選ぶ。もっと簡単だからね。5年か10年で同じぐらいの数になると思う。樹林資源の問題とかなにか起こればE-ZINEが急浮上してくるだろう。紙のジーンは再生紙で、本当に少数の人たちのため高価なものになるかもしれない。将来はE-ZINEは紙のジーンより増えていくだろう。ただ、紙のジーンは次の百年は残り続けるだろうと思う。読むにはずっと便利だからね」
たしかにディスプレイを相手にペーパー・レスなんて日本ではいっているけれど、アメリカじゃ読むときには必ずプリント・アウトして読むのが普通だ。ものを読む上では紙はずっといい。
好きなE-ZINEについて質問してみると
「政府関係で働いてる人物がいて、彼は毎週テロリストのプロフィールをアップロードしている。多分外務省のようなところで働いている人だと思うんだけど、彼はテロリストの組織を調べ上げて機密からはずれた情報を読ませてくれる。彼は月に一回自分の一番好きなテロリストの組織を選ぶんだ。テロリスト・オブ・ザ・マンスっていうんだけど。最近は時々彼の興味のあるグループがあるとアップデートしているみたいだけど。すごく個人的なものなんだ。彼の奥さんと家族は南アメリカを旅行中にテロリストの組織に誘拐されたという過去があって、それから彼はテロリストに取りつかれてしまったんだ。それでジーンを始めた」
愉快な野郎だ。政府関係で働きながらテロリスト・オブ・ザ・マンスなんてありっこなのだろうか。
ここまで聞いてさらにコアな考え方があるのかと思って、質問をすると
「僕は政治的な核になるなにかを持っているっていうわけじゃない。政治的な部分というとフリー・スピーチ、フリー・エクスプレッションだ。僕のジーンは自由な表現を発散しているつもりだ」
という答えが返ってきた。こういう政治的な主張を特に持っていない人間が僕は好きだ。ベーシックなものを大事にするタイプは大きくて広いスペースを持っていられる。フリー・スピーチ、フリー・エクスプレッションという言葉は言論の自由、表現の自由と翻訳されている。ただ日本語にするとなぜ難しい言葉にかわってしまうのだろう。もっと自然なものだと思う。
しかし、この答えだけでは面白くないさらに突っ込んでコアなアイデアを聞き込むと
「多様性を通しての調和(UNITY THROUGH DIVERSITY)。これが80年代からのジーン・ム−ブメント全体を導いている原則なんだ。僕たちはみんなすごく違っている、僕たち全体が違った意見を持っている。4万から5万のジーンがあれば4万から5万の違った意見がある。それがジーンのム−ブメントさ。僕たちは全員がお互いの意見と出版の権利を尊敬している。そういう感覚があるんだ。僕たちはなにかについて正しいと思うとき、同時にほかの人をも正しいと認識している。それが大きなことなんだ。多様性を通しての調和。ファクトシート・ファイブを始めたマイク・ガンダ−ロイがいっていたんだ。彼はアナ−キストだった。だからもともとアナ−キストのスローガンだったんだよ」
まとめると短いが約2時間僕とジェロッドはノース・ビーチのカフェで話をし、帰りにチャイナ・タウンの中国系の自然食レストランに入って、夕食を食べた。ジェロッドの今の奥さんは日本人だ。もらったポッピン・ジッツに2人の日本旅行の写真があったが、それは革のジャンパーを着たパンクスのカップルだった。僕の会ったビジネス・スーツのバロウズを思わせるジェロッドの姿は仮の姿だったのだ。