紹介(プレス・リリース)
イラスト志保美匠一
ライターの金田善裕です。
今回私の初めての自著である「ネット・ボイス イン・ザ・シティ」をアスキ−より出版することになりました。
日本ではマニュアルは売れてもカルチャー系の書籍は売れないとよくいわれますが、それをはね返すぐらいの力を持ち、マーケットをつくっていくことこそ大事なことなのではないかと、正直、著者である私は考えております。
執筆は私、金田善裕。表紙は10年来の友人スージー甘金が担当。16年ぶりぐらいに一緒に仕事をしました。オビのコピーは高杉弾、武邑光裕氏の界隈にいた若者、高城君にお願いしました。
マニュアルではない、読みものとしてのインターネット本をつくったつもりです。
よろしくお願いします。
タイトル ネット・ボイス イン・ザ・シティ
著者 金田善裕
表紙イラスト スージー甘金
オビの言葉 高城剛
解説
この本にはシリコン・バレーの横にある大都市サンフランシスコで西海岸デジタル・カルチャー・シーンをつくりあげる人物たちが登場してくる。日本でも知られたワイア−ド誌エクゼクティブ・エディター、ケビン・ケリ−を始めとして、元モンド2000編集長R.U.シリアス、デジタル・ビ−インをオーガナイズするマイケル・ゴズニ−、マイクロソフトなどの巨大企業のホームページをつくるオーガニック・オンライン社などなど国際的にとんがった連中ばかりだ。
文体はユーモラスでケイハク。だが、登場人物たちの言葉は時には重く、時には未来を予見させる、そういうものばかりだ。インターネットのベーシックな考え方が何度もくりかえされ、インターネットというものがどう考えられているかが理解しやすい。また、その背景になるインターネットという技術ではなく文化をつくりあげたカルチャーについても、いろんな形で登場してくるのだ。
ケビン・ケリ−は60年代の地球のシステム全体を理解するための本「全地球カタログ」について語り、R.U.シリアスは60年代の政治的ヒッピー、イッピーについて語り、ボイン・ボイン誌のマーク・フロウエンフェルダ−はインディペンデントというパンクの考え方がコンピューターによって具体化されたと語る。20人以上がラモナというストリートで共同生活をしているサイボ−ガニックの住人たちが語るのはテクノの話だ。
それぞれのカルチャーにそれぞれの背景があってインターネットは流行し、日本にもおよんだ。その背景を知りたければ、こういった人物の話に耳を傾けてみよう。
以下は章ごとの内容だ。
第一章はワイア−ドとホット・ワイア−ドを取材したものだ。ワイア−ド誌のエクゼクティブ・エディター、ケビン・ケリ−とホット・ワイア−ドのマネ−ジング・エディタージュリ−・ピーターソンが登場する。ケビン・ケリ−は60年代とオルタナティブなカルチャーについて語り、自分のワイア−ド誌での役割を予測できないことを予測することと語る。マネ−ジング・エディター、ジュリ−・ピーターソンはエレクトリック・メディアとコミュニケーション・テクノロジーの結婚としてインターネットの世界にひかれていった経過を語っている。
第ニ章で取材したのは元モンド2000の編集長R.U.シリアスだ。シリアスは自分をテクノ・カルチャーの無法者と自称し、60年代イッピー時代のイタズラ精神を今はテクノ・カルチャーに投入しているという。モンド2000を全米で10万部以上売ったという彼のキャリアには、裏側にはホームレスだった時期、電話のセールスマンをやっていという時代もある。今の時代を数千年かかって起こった変化が数年で起こってしまう時代だと語り、このカオティックな未来を切望すると語っている。
第三章はウィンドウズ95やヤフー、ネットスケープなどのホームページをつくる会社オーガニック・オンラインを取材したものだ。オーガニック・オンラインはベッドルームにサーバーが一台というところから始まり、今は世界でも有数のホームページ制作会社だ。
第四章は95年に東京でも行われたイベント、デジタル・ビ−インとそのオルガナイザ−、バ−バム社のマイケル・ゴズニ−を紹介している。デジタル・ビ−インはアートとテクノロジーの祭典、ワイア−ドとはまた違った文化的文脈からデジタル・カルチャーにアプローチしてきたというゴズニ−らしい歴史に残るイベントだ。サンフランシスコでは今年で9回目になる。
第五章は大学生が個人として1日2万件のヒット数を超えたことで、数々の伝説を生んだジャスティンズ・リンクス・フロム・アンダ−グラウンドをつくったジャスティン・ホールを取材したものだ。アンダ−グラウンド=インターネットという流行は彼から始まったものだ。ジャスティン・ホールの考え方はオルタナティブな考え方としては非常にベーシックなものだ。
第六章で紹介するのはラモナ・アベニューという小さなストリートに住む20人の若者たちの話だ。サイボ−ガニックというサーバーを始めた彼らはサイバー・スペースで、さらにリアル・スペースでも共同体をつくっている。彼らのライフ・スタイルはアメリカ版ローリング・ストーン誌でも紹介され、毎週木曜のオープン・パーティーには世界中から若者たちが集まってきている。ハワード・ラインゴールドもメンバーの一人として参加している。ボスのジョナサン・スチュアーは95年12月のサンフランシスコのCDA法案反対集会の最後のスピーカーだった。彼はモーリー・ロバ−トソンのハーバード時代の同級生だ。
第七章は日本でもエッジになる人種に知られたフリンジ・カルチャーの代表的なジーン、ボイン・ボインを取材したものだ。ボイン・ボインのマーク・フロウエンフェルダ−はワイア−ドのスタッフとしても知られ、奥さんのカ−ラ・シンクレアの本「ネット・チック」は日本語訳も出版されている。96年に彼らが出版した「ハッピー・ミュ−タント・ハンドブック」は全米で話題となった。
第八章アメリカで流行するミニコミ・カルチャー、ジーン。数万種類におよぶ発行点数の中でジーンをレビューするジーンとして出版されたファクトシート・ファイブ。そのインターネット・バージョンを担当するジェロッド・ポアの話を中心にジーンについて語っていく。ニュースグループ、アルト・ジーンズの実質的なホスト役は彼だ。ジーン・ム−ブメントを象徴する言葉として彼は初代編集長のマイク・ガンダ−ロイの言葉をあげて「多様性を通しての調和」という考え方を教えてくれる。
第九章で紹介するアレン・コ−ヘンはCD-ROM「ハイト・アシュベリ−・イン・ザ・シックスティーズ」の著者として知られる詩人。日本ではビート文学関係の出版物で紹介されている。60年代はサンフランシスコ・オラクルというフリー・ペーパーを発行していた今のフリー・ペーパーの流行の元祖にもあたる。彼がハイト・アシュベリ−に引っ越した時期からヒッピー・ム−ブメントは始まった。実際の60年代という時代をつくった歴史的な偉人だ。
第十章は400社以上のエコロジー関係の企業が集まるウェッブ、エコ・エキスポと砂漠に1万人が集まるアート・イベント、バーニング・マンを撮る女性カメラマンバ−バラ・トラウブをテーマにしている。エコ・エキスポはウェッブだけにとどまらず全米でイベント、ファッション・ショーなども開催、人気を集めている。バ−ニング・マンについては今年初めの日本版ワイア−ド誌にブルース・スターリングが紹介しているので参照してほしい。