デジタル・ビーインの歴史



 デジタル・ビ−インというと知っている人は知っているように95年の幕張のマック・エキスポの時に日本でも開催された。デジタル・テクノロジーとアートのイベントだ。日本ではその時一回きりで続いていないがサンフランシスコでは10周年を迎えた。つまり、1987年からデジタル・テクノロジーとアートをテーマにイベントが続いているのだから、西海岸ハイテク・カルチャーの歴史的な厚みみたいなのが感じられてスゴイものがある。最初はデジタル・アンダーグラウンドとか、ハッカーのお祭りとかいわれたイベントで、当時はもろにアングラ感覚。主催者のバ−バム社のバ−バム・ジャーナルというDTP雑誌のプログラマーとクリエイターが集まったパーティーがそもそもで、ホテルのででかいスイート・ルームに各自パソコンを持ち込んで自分の作品やプログラムを見せあっていたというのが、デジタル・ビ−インというイベントになるの前のこと。

 イベントとして一般に公開されてからは、トッド・ラングレンは参加するし、ピンク・フロイドのメンバーは参加するし、最近はサンフランシスコ市長のウィ−リー・ブラウンや元カリフォルニア州知事のジェリー・ブラウンまで参加するようになった。

 毎回欠かせない参加者として、あの悪名高きマッド・サイエンティスト、去年死んでしまったサイケデリックのおじさん、LSDを精神分裂病の医薬品からドラッグに変えてしまった伝説の人ティモシ−・リアリーもいつもの参加者だった。ティモシ−・リアリーとしては意識拡張のための手段として、ドラッグ、LSDを60年代に提唱していたのだが、80年代はパソコンこそ意識拡張のための道具で、80年代のLSDだといっていた。それで、こんなイベントに顔をだす人として存在していたわけだ。ま、ドラッグに興味のある人はLSDは非合法品だからパソコンこそ、そういう道具だと考えて、インターネットをひたすらやってみよう。で、ひたすら、やる時に欠かせないのが今回のようなイベント。

 デジタル・ビ−インの構成はまずメインステージ、メイン・ステージではバンド、VRMLの元祖開発者のスピーチやデモ、詩の朗読、ウィリー・ブラウン市長などのスピーチなどなどが行われて、最後はサイケデリック・トランスのパーティーとなる。サブ・ステージは小さめのバンドやパフォーマー、ローカルな詩人たちのポエトリ−・リーディングなどなど。こういうDJから市長、VRMLの元祖開発者までずらりとならぶというところがほかのイベントにはないところだ。見のがせないのはこういう出演者ばかりではない、デジタル・ビ−インのすぐれた特徴は展示にある。毎年、マック・ワールド・エキスポにあわせて行われているので、街中がデジタル関係の人間で埋まる時期だ。そんなときにデジタル・ビ−インに出展するのは安くて大きな意味があるわけだ。マック・エキスポは個人や小企業にとってはかなり高い金額を払わなくてはいけないが、デジタル・ビ−インの出展料は安い。だから、デジタル・ビ−インに出展して全世界から集まった企業関係からアーティストたちに自分や自分の会社の作品、製品を見てもらうということになるわけだ。一時は、小さな会社、個人のアーティストにまじって、マイクロソフトを始めとする大企業のブースもたくさんならんでいた。

 

Digital Be-In

http://www.be-in.com/

サンフランシスコで行われてきたデジタル・テクノロジーとアートのイベント、デジタル・ビ−インのホームページ。過去のインターネットの中継のアーカイブや、グッズやビデオ、ポスターを販売するショップなど要チェック。過去のアーカイブには知る人ぞ知る西海岸のアンダーグラウンドの大物がならんでいる。すべてが最先端感覚でよくできたウェッブだ。

日本時間1月10日昼の12時からインターネットのリアル・タイム中継が予定されているアートとテクノロジーの最先端イベント、デジタル・ビ−インの今年のリアル・タイム中継はどんなものだろうか。楽しみにアクセスしてみよう。

Verbum

http://www.verbum.com/

デジタル・ビ−インを主催するバ−バム社のホームページ。なんとコンピューターを使った出版は70年代から、DTPは86年から、CD-ROMの出版は91年からと必ず2年は先をいく会社なので驚いてしまう。デジタル・ビ−インのオルガナイザ−、マイケル・ゴズニ−のプロフィールも興味深い。

なんといっても歴史がすごい。今日のDTPとホームページがなぜ存在するのか、こういうフロンティアがいたからこそ現在があることを思い知らされるような歴史だ。英語が読めなくても過去のバ−バム・ジャーナルの表紙の水準だけでいってしまうかもしれない。

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