デジタル・シティ、
サンフランシスコは新しいカルチャー・レボリューションの激震地となるのか。

50年代のビート・ジェネレーション、60年代のヒッピー・ム−ブメントに続く90年代のサンフランシスコのカルチャー・ム−ブメントが今、生まれつつある。そんなサンフランシスコの動きの一コマをウェッブから探してみよう。
ガッキーン! 日本の皆さん元気でしょうか。今回、ぼくがお届けするのはサンフランシスコというデジタル・カルチャーとレイブ・カルチャーの国際的な本舗のお話。サンフランシスコというとシリコン・バレーから車で約1時間半。周辺の街はシリコン・バレーだけでなく、バークレーからサンタ・クルーズまでハイテク企業の密集地。サンフランシスコも石を投げればプログラマーに当たるというぐらい、情報産業の都市。今やこの一角がアメリカの基幹産業となった情報産業を支える地帯で、サンフランシスコの空き部屋率は1パーセント。
そんなサンフランシスコの売り物を一言でいってしまえば"ヒップ"であること。50年代のビート・ジェネレーション(http://www.charm.net/~brooklyn/)、60年代のヒッピー(http://www.sixties.com/)とサンフランシスコから登場して世界的な流行になったカルチャーは多いけれど、現在もそういう伝統はディープにもライトにも受け継がれていて、90年代のサンフランシスコ・カルチャーも50年代、60年代に続いて新しいカルチャー・ム−ブメントを起こしつつある。友人のバ−バム社(http://www.verbum.com)のマイケル・ゴズニ−にいわせるとサンフランシスコは今、新しいム−ブメントを生みつつある時期だということになる。今、サンフランシスコで起こっていることが、やがては全世界をおおう、カルチャー・ム−ブメントになるのだろうか。巨大な情報産業を背景に、それは今、起こりつつあるし、数年後には、はっきりとした形で起こってくるとぼくは予測している。
さて、そんな今年のサンフランシスコを特徴づけているのがサマー・オブ・ラブ30周年(http://www.sftoday.com/enn2/summerlove.htm)。インターネット上でも、それなりの盛り上がりを見ることができる。起源は1967年のハイト・アシュベリーで行われたサマー・オブ・ラブというヒッピーの大祭典で、40万人を集めたというウッドストック・フェスティバルの2年前にあたる。当時ハイト・アシュベリーにはジャニス・ジョプリンやグレイトフル・デッドが住んでいたり、彼らがその夏にハイト・ストリートでライブをやったり、いろんなパフォーマンスをくりひろげたというわけだ。それが、マス・メディアにのり、ヒッピーというカルチャーが誕生し、全世界に拡大していった。60年代革命と呼ばれる時期の話だ。
今年はそのサマーオブ・ラブの30周年にあたって、街中で毎週サマー・オブ・ラブがらみのイベントがだれかの主催で行われている。10月12日には伝説のロック・コンサートのプロモーター、チェット・ヘルムス&ザ・ファミリードッグのチェット・ヘルムス主催の記念イベント(http://www.summeroflove.org/)がゴールデン・ゲイト・パークで行われる。参加したい人は参加してみてほしい。参加できない人はウェッブで見て歩こう。
余談だがサンフランシスコ市長のウィーリー・ブラウンも当時ハイト・アシュベリーに住んでいたというから、ロックの世界がジャニスやグレイトフル・デッドなら、政治の世界はウィーリー・ブラウンという、当時のハイト・アシュベリー出身者がやっているのもサンフランシスコらしい話だ。
さて、サンフランシスコ名物といえばゲイ・パレードと思う人は多いだろうが、毎年市長もパレードに参加する巨大イベントとなっている。今年、参加しておもしろかったのは大きな葉のプラカードを掲げた連中が多かったことだ。そう、医療用の大麻の合法が州民投票で70パーセント以上の支持を集めて、通ったことを祝う連中だったのだ。そのせいか、パレード参加者でも警官のいるところを、平気でスパスパ吸っている人が多く、合法で、きちんと医者の処方せんをもらって吸っているのか、非合法で吸っているのかは、外からはまったく区別がつかない。
そんな、医療用の大麻の解禁を勝ち取ったカナビス(大麻、マリファナのこと)・バイヤーズ・クラブ(http://www.slip.net/~richgaik/cannabis.html)のデニス・ペロン氏がスピーカーとなったイベントが市庁舎の一角であった。ドラッグ・ピース・ラリーというドラッグ・ウォーと呼ばれるドラッグによる逮捕者と警察や司法当局との戦争をやめようというイベントだった。行ってみるとスピーカーはデニス・ペロンさんだけではなく、EFF(http://www.eff.org/)の創設者の一人でグレイトフル・デッド(http://grateful.dead.net/)の作詞家でもあるジョン・ペリー・バ−ロウもスピーカーに立って、開口一番「I'm a pot smoker and acid head」と切り出したのだ。つまり、私はマリファナ喫煙者でアシッド頭をしている人間だというのだ。市庁舎の一角で大きなスピーカーで堂々と、こういったことをしゃべり出すのだから、今のサンフランシスコは、アメリカはおもしろい。はっきり非合法のことをやっている男だと、誇らしく語るバ−ロウのスピーチには拍手が大きくわいたのはいうまでもない。
この集会では、LSDの違法取り引きをやっていたがために、10何年に及ぶ刑務所ぐらしをしている人や、一度マリファナやほかのドラッグをやったがために、やはり重罪を負ってしまった人たちのパネルの展示などのほかにヘンプ(大麻のことだが、通常、大麻からとれる繊維などを利用してつくった製品にヘンプという名前がつくことが多い)・フーズを売っている人がお店を開いたり、大麻の合法に向けて活動する人がブースを出したりしていた。スピーチと反対側はレイブでDJブースを前に市庁舎エリアの一角で、テクノ・ビートで踊る若者たちがいた。
参加者の中には雑誌モンド2000(http://www.mondo2000.com/)の元編集長やシックスティーズというウェッブのウェッブ・マスター、ティモシ−・リアリーの死んでからの著書「デザイン・フォ−・ダイイング」のサイン会の主催者などまでいて、サンフランシスコのカルチャー・シーンのボス連の集まりでもあって、これからマリファナの合法化が始まるだろうという、希望にあふれたものだった。
余談だが「デザイン・フォ−・ダイイング」のサイン会には、パネラーとしてティモシ−のまま子、ザック・リアリー、ティモシ−と一緒にLSDの研究をハーバードでやっていたラルフ・メッツナ−、日本で翻訳もでているロバ−ト・アントン・ウィルソン、モンド2000誌の元編集長R.U.シリアスなどがおしゃべりをし、会場のすみでチラシをまいているのがマーク・ワイマン、ビデオを撮っているおばあさん、なども含めて、ティモシ−・リアリーの6月に公開された自伝映画の出演者の半分は出そろったという世界だった。
これだけ強靭なネットワークをつくれるというのは、本当にサンフランシスコらしい出来事で、人口が140万人といわれている東京と比べれば小さな都市だから、こういうネットワークはつくりやすいし、できやすかったといえるのだろう。つまり、目だったことをやる人間同士が、横のつてから結びつきやすいのだ。
バ−バム社主催のマイケル・ゴズニ−がオルガナイザ−になって毎年行われるイベント、デジタル・ビ−イン(http://www.be-in.com)のフォーカス・ミーティングがディメンション7という会社の持つウェア・ハウス(倉庫)を改造したクラブで行われたのだが、まず、デジタル・ビ−イン自体が95年に日本でも行われたイベントで、ディメンション7がサンフランシスコ最先端としてザブトーンなどの雑誌で紹介されている会社だということをあげておこう。ミーティングに集まったのはさきほど紹介した、チェット・ヘルムスやアレン・コーヘンなどの60年代からの大物、有名人だ。アレン・コーヘンは67年にヒューマン・ビ−インというベトナム戦争反対のイベントをつくったオルガナイザ−で、チェット・ヘルムス同様、60年代のドキュメンタリー本やビート関係の文学書などで日本でも紹介されている。CD-ROM「ハイト・アシュベリー・イン・ザ・シックスティーズ」の著者でもある。そんな連中とデザイン・フォー・ダイイングのサイン会を主催したジャス・モーガン、パーティー会場として有名なアノン・サロン(http://www.well.com/user/tcircus/Anon/index.html)のオーナー、ジョ−・ブロックなどサンフランシスコの顔役たち、そして若者たち、そんな連中が集まって、全員ボランティアで来年1月に行われるデジタル・ビ−インについて話し合うのだ。60年代から90年代というつながりが自然にできてくる。こういうネットワークをつくれるサンフランシスコがうらやましくなってくる、と、同時に、ここから生まれてくるものに期待ができてしまうのだ。
最後に報告しておきたいのが、今サンフランシスコの観光名物ともなっているウェア・ハウス(倉庫)の話だ。ホームレスの多い、ちょっと危険な地域の倉庫、ウェア・ハウスを改造して共同で住んだり、クラブにしたりオフィスにしたり、あるいは一階、二階はクラブでその上を自分たちの住むところにするとか、いろんな改造の仕方があって、アーティストが多いので、観光ガイドなどでも紹介されるようになっている。あるウェア・ハウスは50人以上が住んでいるとかいわれている。
こうなってくるとカルチャー・ム−ブメントは起こりやすい。今世紀末にかけてサンフランシスコは50年代、60年代のような国際的なカルチャー・ム−ブメントを起こす街となるのだろうか。